日本で唯一の「企業成長の壁」超えコンサルティング

売上の停滞を突破。「餅は餅屋」を実感

WITH サニタ 年商30億
WITH サニタ 年商30億

WITH サニタ 佐々木 年商30億

37歳で父から会社を引き継ぐ

私は23歳の時に当時父が経営していた会社に入社しました。その当時、父は4つの会社を経営していましたが、それらの会社の中でもメインの会社に店頭販売員として、正に「一兵卒」という形で社会人のスタートを切りました。

自分の頑張りによって業績の悪かった店舗が良くなり、働いてみてすぐに仕事というものの面白さに気づき、のめり込みました。

当時、将来的にドラッグストアをつくりたい、というビジョンもあり、そのビジョンも見据えながら、入社して1年後には売上規模の最も大きい店舗の店長となり、その後も3店舗を管轄するエリア長、仕入れ責任者、運営部長など多くの経験をしてきました。

そのような中で、もともと父からは私が42歳になった時に会社を引き継ぐという話しをしていたのですが、私が37歳の時に父が脳梗塞で倒れてしまい、命に別状はなかったのですが、今後の会社のことを考えて予定より5年早く会社を継ぐことになったのです。

典型的な「文鎮型組織」でもうまくいっていた

私自身が体が弱かったことから、調剤薬局やドラッグストアを事業にすることを半ば「使命」のように感じていました。

1店舗3名という「1」からのスタートでしたが、2店舗目、3店舗目と順調に店舗展開を重ねることができ、5店舗まではトントン拍子で成長することができました。

そのころは社員も増え、役職者もいましたが、役職とは名ばかりのものであり、実際にすべてを見ているのは私であり、何かを決めるのもすべて私が決めていた、という典型的な「文鎮型組織」でした。

ただ、そのような組織形態でも、当時は社員の名前と顔が一致していましたし、業務が終わった後に社員と一緒に食事にいってコミュニケーションをとったりと、トップである私自身が全社員を見ることができていたので何も問題はなかったのです。

順調な成長から一転、売上が停滞

そのように会社が順調に成長をしていく中、当社では「人類の心身の健康に貢献する」という経営ビジョンを掲げているため、ドラッグストア・調剤のほかにも人の健康に関わる違う業態への展開をしていきました。

私自身、体が少し不調な時に鍼灸に通っていたこともあり、まずは整骨院事業へと参入。最初はノウハウがないのでFCとしてスタートしましたが、こちらも3店舗までスムーズに店舗展開することができました。

ただ、この辺りから社員の名前と顔が一致しなくなってきました。今思えばそれが会社の成長の停滞につながるアラートの1つだったのですが、その頃は会社も成長し続けていましたし、また私自身も会社をさらに成長させたかったため、リハビリ型のデイサービス、訪問マッサージ、訪問看護と、次々に事業展開を推し進めていきました。

そのようにして複数の事業あわせて従業員が100名くらいになったころ、突如として売上が停滞してしまったのです。

新しい事業を始めても人が定着せずに辞めていってしまう。人がいないのでその事業がペンディングになる。既存事業、店舗の生産性が上がらない。など、何をやってもうまくいかなくなってしまい、年商7億円から8億円を「いったりきたり」するようにして売上が停滞してしまいました。

自力で評価制度をつくり運用するも

そのように売上が停滞している中、どうにかしなければと様々な経営セミナーに参加し、ヒントを得ようとしました。

とあるセミナーで「組織をつくるために評価制度をつくることが大事」と、その必要性に共感し、自社で導入しようと思い至りました。

当時は事業の展開ばかり先行していたため評価制度などはなく、給与を決めるにも「〇〇さんは来月から院長になるから給料〇〇万円にするね」や、「〇〇さん、すごく成果出しているから明日からエリア長になって」など、私の「鶴の一声」で配置や処遇、給与を決定していたり、中途採用においては、例えば募集要項には月給30万円で出していても、面接にきた求職者がすごく良さそうな人材で「前職から給与を下げたくない」という交渉が入ると「じゃあ40万円にするね」という形で明確なルールや基準が不透明のまま、私が「鉛筆をなめて」決定していました。

薄々、そのような体制も将来的にはダメだなと感じていたので、評価制度の導入には何も抵抗がなかったのですが、外部は入れなくとも自分たちで制度をつくれると思い、自力で評価制度をつくり、運用し始めました。

しかしこれがうまくいかず、何とか頑張って3年ほど社内で運用してみたものの全くワークしなかったのです。結果的に売上も同様、停滞したままでした。

WITH サニタ 佐々木 年商30億

エースで4番社長だったことに気づく

そのような停滞状況が続く中、佐々木さんの書籍「年商30億円の限界突破」が日経新聞に掲載されていて、タイトルを見て「これだ」と思い、すぐに購入して読みました。

本に書いてある内容、特に副題でもある「エースで4番社長から監督社長へ」というワードがまさに今の自分そのものを指していたのです。

当時、取締役として専務はいましたが、その専務は自身で会社を経営しながら当社の専務もしているという形態だったため、実質的なリーダーは私しかおらず、そのリーダーである私が現場を回しながら、片方で社員を教育し、そしてお金回りの経理業務も担うなど、現場から離れられませんでした。
また、事業を展開して成長を図っていくという「戦略」中心の経営をしており、「組織」をつくることを怠っていた、という特徴もぴったりと該当していました。

その結果が当時の売上停滞を招いていたのは明白であったため、そのような状態を言い当てたかのような佐々木さんの本を見てすぐにコンサルティングを依頼しました。

「餅は餅屋」を実感

コンサルティング導入初期に私含め、多くの社員に個別のヒアリングをしてもらったのですが、そのヒアリングの結果、「戦略に人・組織が追いついていない」と佐々木さんに言われたことが印象的でした。
ただ、それと同時に私としても同じように思っていたという安心感と、「組織をつくれば売上はまた上がっていく」という確信を得たのも事実です。

当初のプロジェクトの中心は人事評価制度の構築と運用でした。人事評価制度といっても給与を決めるルールのみではなく、組織をつくるためのマネジメントツールとしての役割、という目的で構築と運用を進めていき、まずは評価ポリシーをキーマンとなる社員たちとディスカッションして固め、その後もテンプレートのような評価項目やルールを当てはめていくのではなく、当社の社員にヒアリングをし、またディスカッションを深めながら全て当社の各事業、各職種にあわせて完全にカスタマイズして構築してもらいました。

この構築のプロセスと出来上がりをみただけでも、自社内でつくったものとは全く違い、早くてクオリティの高いアウトプットが出たため、やはり「餅は餅屋」ということでプロに任せたほうが良いと如実に感じました。

人事評価制度を自力で運用してワークしなかった3年間を無駄にした、という思いから、佐々木さんには冗談交じりに「もう3年早く本を出して欲しかった」と今でも時々言っています。笑

売上の停滞を突破

人事評価制度を「毎月1回評価面談する」「フィードバックをシェアする」など、マネジメントツールとして運用することで、着実に管理職個々のマネジメント力が上がっていき、そしてそれが会社全体のマネジメント力アップにもつながっていきました。

一般の社員からも「何をすれば評価されるか明確になった」「年功序列だと思っていたけど、〇〇先輩が昇格するのを見て自分にもチャンスがあると思った」など、これまで不安や不満に感じていた部分が払拭されたことで、離職率が下がったと共に社員1人ひとりのモチベーションやエンゲージメントが上がっていきました。

また、人事評価制度以外にも事業戦略やマーケティングのフレームワークを用いてディスカッションをしていく「ビジョン共有ワークセッション」を社員向けに実施したことで、社員の「ビジネス感覚」が養われたと思います。

当社は整骨院やデイサービス、調剤薬局など、健康にまつわる専門職の人材がほとんどであるため、そのような人材はホスピタリティが高く、専門性には富んでいるのですが、相対的にビジネス感覚に長けた人が少ない、という特徴があります。

そのような人材がビジネス感覚、マーケティングの知識を養っていったことで、「どのように集客していくか」「どのようにリピート・継続してもらうか」「利益を出すためには何を改善する必要があるのか」など、仕事をするうえでの視点が1つも2つも上がったように思います。

他にもそれらの戦略をしっかりと実行していき、ブラッシュアップを重ねていくための「戦略実行PDCA」を行ったり、労働集約型ビジネスの肝である「採用」「教育」「定着」を強化していくための「人材開発室」をプロジェクト化するなど、組織的なマネジメント力が上がっていくに連れて年商10億円前後で停滞していた売上も、ついにその壁を超えることができました。

事業展開のビジョンと年商30億円へ向けて

私が父から会社を受け継いだ時のことを思っても「自分に何か不測の事態が起こり、いなくてなっても仕組みやルールで回る組織」をつくることが重要だと改めて感じました。

現在、従業員が200名近くいますが、昔のように私が全社員の給与を決めるとしたらゾッとします。仕組みやルールが整い、組織がつくられているからこそ戦略も活きる、ということを実感しています。
昨年からメンバーを選抜し、「経営戦略室」をプロジェクト化しました。

そこでは中期経営計画をディスカッションしながら考えてきたのですが、今後のビジョンとしては、横浜、そして千葉の内房外房にエリアを絞って現在の事業の店舗展開を進めていくと共に、現在も歯科では進めていますが、訪問事業の更なる推進と、老人ホームも事業として立ち上げることを目指しています。

これらが事業として展開できると、人々の体調管理の入り口として「薬」。これは当社の調剤薬局でサービス提供でき、薬だけではなく体のことであれば整骨院、体の不自由が大きい人にはデイサービス、自宅から出ることが難しい人は訪問、そして最終的には老人ホームという「施設」まで提案できる、という形で、サニタとして網羅的なサービス提供を可能にし、地域になくてはならない存在になることを描いています。

それと同時に1つの目標である年商30億円の到達を目指し、これからも事業を推進していきたいと思っています。

WITH サニタ 佐々木 年商30億

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